田 偉


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中国湖南省生まれ。12歳で国立湖北芸術学院に入学。卒業後、京劇の女優となる。1988年来日し、96年に「東方文化芸術団」を設立。2002年に行った田偉リサイタルW偉々の世界Wがふれあい祭典奨励賞を受賞。著書に「中国から来た花嫁・偉々」(新風舎)がある。


震災で感じた人の優しさ

▲芸術団のメンバーとコンサートに向けて練習

▲田偉僑心小学校の子どもたちと

 神戸市北野界わいの異人館街に程近いマンションの一室。「東方文化芸術団」の練習場からは中国楽器の音や透明感のある歌声が聞こえてきます。練習する団員の中心にいるのは団長の田偉さん。自らも歌いながら、時折、演奏を止めてアドバイスをします。  「ここは練習場というよりたまり場。いつも誰か来ていて、楽しくおしゃべりしています」。週2回は行っているという練習も楽しくて仕方がないという雰囲気です。  笑顔を絶やさない田さんですが、祖国の中国では笑うことができない時期もありました。1960年代後半から70年代前半まで続いた文化大革命は、彼女の伯父であり、中国国歌の作詞者である田漢さんをも迫害の対象に。「田氏の親戚だ」というだけで差別される現実は人間不信をもたらし、中国という国から見放されたような絶望感に陥りました。芸術学院を卒業し、いったんは京劇の女優として舞台に立つものの、「いつかまた迫害されるのでは」という恐怖心から、結局は辞めてしまいました。「とにかく中国から逃げ出したかった」という田さんは、友人の紹介で知り合った神戸在住の華僑、李明暁さんと結婚。言葉もまったく分からないまま88年9月に来日しました。  神戸での生活もやっと慣れてきた95年、阪神・淡路大震災が起こります。避難所である北野町の駐車場には、さまざまな国籍の人が集まり、肌の色や話す言葉に関係なく助け合っていました。  「極限状態の中で人の優しさに出合い、とても感動しました。自分も何かしたいと思って、早速避難所を慰問。歌と踊りで被災者を元気付けたのです」


芸術団の団長として

▲北京語講座も開催
震災から1年後の1月17日、神戸市西区の仮設住宅で開催されたコンサートに誘われ「一人より大勢で出演した方が楽しいのでは」と急きょ在日中国人の友人たちと「東方文化芸術団」を結成。以降、年に一度のチャリティーコンサートを中心に、多彩な活動を行っています。メンバーはアマチュア中心なので、その都度増減があるそうですが、現在は30人ほど。コンサートでは京劇や中国音楽だけでなく、日本人メンバーによる謡曲や日本舞踊なども披露。今年のチャリティーコンサートは10月21日に神戸文化ホールで開催するそうです。  99年には初めての中国公演も果たしました。逃げるように飛び出した故郷に帰るのは抵抗があったそうですが、それでも実現させたのは、日中友好の輪を少しでも広げたいとの思いがあったからだと言います。  「中国人の中には日本人に対して微妙な感情を抱いている人もいます。でも、私は日本に来て掛け替えのない友達がいっぱいできました。日本人はいい人たちばかりだよ、と教えてあげたかったのです」  中国公演中は草の根交流が展開され、感動の出会いも数々あったとか。地道に活動すれば思いは通じるのだ、と実感したそうです。そして、昨年は故郷である長沙市に私財を投じて小学校を開校。9月には再び中国で公演を行います。  「音楽を通して皆を感動させたい」と、どこまでもエネルギッシュに語る田さん。日本と中国の懸け橋でありたい、という思いはこれからも多くの人の心を動かすことでしょう。


財団法人兵庫県国際交流協会(http://www.hyogo-ip.or.jp/jp/info/comehia/mag059/comehia_059_04.htm)から引用


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